事業会社が運営するCVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)は、投資先スタートアップとの事業シナジー創出を大きな目的としています。その実現には「事業シナジーを生み出すための知見やネットワーク」と「スタートアップ投資のノウハウ」の両方が必要ですが、それらのリソース不足を課題に感じているCVCは少なくありません。
今回、ジャフコが新たに立ち上げたのは、CVCのベンチャーキャピタリストを対象とした育成プログラム。ジャフコに出向して投資業務を経験するという従来の形ではなく、第一線でスタートアップ投資に携わってきた当社パートナーによる育成コンテンツを、オンラインで享受できるプログラムです。
このプログラムは、自社でCVCを運営する小野薬品工業株式会社と一緒につくり上げていったものです。前例のない取り組みをどのように推進し、どのような成果を上げたのか、プロジェクトの全貌をお届けします。
【What's 小野薬品工業株式会社】
創業は1717年、大阪市に本社を置く新薬に特化した研究開発型製薬企業。特にアンメット・メディカル・ニーズ(未だ有効な治療法が見つかっていない医療ニーズ)の高い「がん、免疫、神経およびスペシャリティ領域」を重点領域とした研究開発に取り組む。2022年には、医薬品以外のヘルスケア領域におけるスタートアップ投資を目的としたCVC、小野デジタルヘルス投資合同会社を設立。
【取材参加者】
■小野薬品工業株式会社/小野デジタルヘルス投資合同会社
BX推進部 オープンイノベーション推進室 提携戦略課 課長 小林 正克(こばやし・まさかつ)
BX推進部 オープンイノベーション推進室 提携戦略課 錦織 正憲(にしこおり・まさのり)
■ジャフコ グループ株式会社
投資部 パートナー 坂 祐太郎(さか・ゆうたろう)
ビジネスディベロップメント部 プリンシパル 西中 孝幸(にしなか・たかゆき)
「事業シナジー創出力」と「投資ノウハウ」を兼ね備えた人材の不足
ーまず、小野薬品のCVCである小野デジタルヘルス投資が設立された背景からお聞かせください。
小野薬品 小林 もともと小野薬品では、外部との協働で革新的な医薬品創製を進めるオープンイノベーションの文化が根づいていました。その先の挑戦として、医薬品以外のヘルスケア領域の事業創出を目指したスタートアップ投資にも取り組んでおり、投資活動を本格的に進めるにあたり2022年に設立されたのが小野デジタルヘルス投資です。
今回のプログラムが実施される以前の投資実績は5社。エビデンスに基づいた科学的介護を実現する介護ソフトを提供する企業、AIによる医療画像診断支援サービスを提供する企業、医療用のバイオマテリアル製品を開発する企業、オンライン特定保健指導とメタボリックシンドローム領域のSaMDを開発する企業、自宅でできる心電図検査サービスを提供する企業、に投資させていただきました。
小野薬品工業/小野デジタルヘルス投資 小林正克氏
ー今回のプログラムをジャフコと実施するにあたり、小野デジタルヘルス投資ではどのような課題を抱えていましたか。
小野薬品 小林 これまでの投資活動をふまえ、よりよい判断を行うためにさらに知見や経験を蓄積したいということがありました。メンバーには投資経験者も在籍していたものの、私を含めて小野薬品での経験が長いメンバーが多く、さらなるノウハウがあれば、より優れたスタートアップへの投資を含め、チームに期待される活動ができると考えていました。
いろいろな方に相談しましたが、ジャフコの皆さんには特に親身になって話を聞いていただきました。日本の独立系VCと言えば真っ先に名前が挙がりますし、社内の体制も非常に整っていらっしゃいます。様々な方にサポートいただける可能性があるのは心強いと思いました。
ー今、小林さんが仰ったような課題を抱えるCVCは多いのでしょうか。
ジャフコ 西中 そうですね。CVCの目的は事業創造であり、本体の会社と連携して、スタートアップとの事業シナジーを生み出していくことが重要です。小林さんや錦織さんのような内部の方の場合、社内ネットワークは豊富にあるけれど投資ノウハウが少ない。一方で、外部から投資経験者を採用した場合、投資ノウハウはあるけれど社内ネットワークを構築できず、事業シナジーを生み出しにくい。そうした構造的な課題があると思っています。
ジャフコ ビジネスディベロップメント部 西中孝幸
ーなるほど。では、今回のプログラムがどのように企画され実現したのか、経緯をお聞かせください。
ジャフコ 西中 これまでキャピタリストを育成したいといったニーズに対しては、当社に一定期間出向して投資業務を経験いただくという形でした。ただ、その形ではCVC側の業務との両立が難しく、当社も責任をもって受け入れする体制を構築するため、お互いにとって負担が大きい。小野薬品の皆さんと話す中で、出向ではない新しい形のプログラムが必要だと感じました。
今回のプログラムはすべてオンラインで、投資先を見極めて投資実行するところまでの一連のノウハウを実践形式でお伝えするもの。当社パートナーの坂と共に実施させていただきました。
こういう形でベンチャーキャピタリストを育成するプログラムはおそらく日本に存在しないと思うので、小野薬品さんとは「プログラムを提供する」「受ける」という関係性ではなく、同じ目線で一緒につくり上げていきましょう、と話していました。お互いにそのスタンスがあったからこそ、前例のないプログラムを実現できたのだと感じています。
小野薬品 小林 当初は私たちも出向という選択肢を検討していたのですが、難しいだろうという結論になり、どうしたら実現できるかを坂さん、西中さん含めてジャフコの皆さんと話し合い、CVCにとって必要なプログラムを検討していきました。
坂さんは日本を代表するキャピタリストの一人であり、投資先に深く入り込んで様々なご経験をされてきた方。私たちも投資先と二人三脚で挑戦し、社会に新しい価値提供をしたいという思いを持っていましたので、坂さんに関わっていただけるのであれば非常に価値のあるプログラムになると確信しました。
起業家との接点を自ら増やし、「投資仮説」の精度を上げていく
ー小野薬品からは錦織さんが代表してプログラムに参加されました。どのような経緯から参加することになったのでしょう。
小野薬品 錦織 私は新卒で小野薬品に入社し、営業、マーケティング、メディカルアフェアーズ(臨床研究の企画推進)といった部署に携わってきました。
当部署に所属するまでは、スタートアップとの関わりは全く無かったものの、これまでに所属した部門でもスタートアップの持つ高い技術が自社の活動に付加価値をもたらしていたことから、スタートアップとの連携に強い関心があり、一昨年、社内公募があったタイミングでチームに参画しました。
今回のプログラムは、リーダーの小林が先を見据えて準備しており、私は実施が決まってまさに渡りに船とばかりに参加させていただくことになりました。
小野薬品工業/小野デジタルヘルス投資 錦織正憲氏
ースタートアップ投資は全く未経験の状態からプログラムに参加されたのですね。では、具体的なプログラム内容を教えてください。
ジャフコ 西中 プログラムはフェーズ1とフェーズ2に分けて実施しました。フェーズ1は、スタートアップのビジネスモデルや市場理解など、スタートアップの経営者の方々と適切な面談を行うために必要な内容になります。フェーズ2は、デューデリジェンスや条件交渉、投資契約など、実際に投資実行するにあたり必要なノウハウを学ぶための内容です。
フェーズ1と2の間の期間は、定期的に1on1でメンタリングを実施して細やかにサポートさせていただきました。プログラム期間はトータルで1年間くらいです。
重視していたのは、プログラムを提供して終わりではなく、CVCとして事業創造を実現できるレベルの実践的ノウハウを習得いただくこと。プログラム中は実際に小野デジタルヘルス投資のキャピタリストとして、スタートアップ企業と面談し、投資候補先のソーシング活動に取り組んで頂きました。
ジャフコ 坂 フェーズ1の最初の2〜3週間は、ベンチャーキャピタリストとして最低限知っておくべき知識や考え方を学ぶワークを提供させていただきました。スタートアップ投資の基礎であり本質でもある、非常に重要な内容です。
ジャフコ パートナー 坂祐太郎
小野薬品 錦織 最初のワークで坂さんからは、スタートアップを評価する際に、ジャフコさんで重視しているポイントや考え方について学びました。スタートアップのビジネスが「誰のどんな課題を解決するものか」を明確にするということは基本ですが、これを解像度高く理解しておく重要性を、当ワークを通じて改めて感じました。
ープログラム中は実際の投資案件のソーシングや検討も行ったとのことですが、そこではどのような学びを得ましたか。
小野薬品 錦織 坂さんのワークで特に大きな学びとなったのが、「投資仮説」というパートでした。投資仮説とは、投資判断するための仮説であり、そのビジネスを取り巻く市況、プロダクトの競争優位性、及び経営陣など、企業として優れているかどうかのポイントを学ぶことができました。これに加えて、誰のどのような課題を解決するのかを考えることが、自社にとっての事業シナジーが期待できるかを見極める判断軸の一つであることが理解でき、貴重な学びとなりました。
ジャフコ 坂 スタートアップ投資は、これまでの実績や定量的な情報が豊富にある不動産投資や上場株投資とは少し異なります。そもそも実現していない情報をもとに投資の意思決定を行う必要があり、まだ実現していない未来は、数字を分析すれば必ずしも答えが弾き出されるわけではありません。つまり、正解は誰にもわからないということ。その中で、たとえ他の99人に反対されたとしても「○○だから自分はこの企業に投資する」と確信をもてる状態をつくることが最も重要であり、それを支えるのが投資仮説です。
「今後、世の中や市場がこんなふうに変わっていき、その中でこの企業はこういう役割を果たし、こういうサービスを提供して世の中に確実に必要とされる」...といった考え方をしていきますが、これは日々変化している時代や情報を捉える必要があり、極めて個別性が高いため、教科書的に表現することは困難です。そのため錦織さんには、特定の事例に対しての考え方や投資仮説の立て方をお伝えしながら、理解を深めていただきました。
ー今回のプログラムを経て、初めての投資としてジャフコ投資先である株式会社テックドクターに投資されたとお聞きしています。初投資に至るまでどんな苦労がありましたか?
小野薬品 錦織 最初のハードルとなったのは、スタートアップとの面談です。プログラムが開始し、約4ヶ月間で70社ほど面談しましたが、研修中は常にアポイント取りや面談の事前準備に追われていました。
ジャフコ 坂 ジャフコでも、最初から領域を絞らずに、様々な事業領域に触れること、自分から「面白そう」と思えるサービスや技術を探しにいくこと大事にしています。なぜなら、先ほど話に出た「投資仮説」を強固にしていくために必要なプロセスだからです。様々な事業やアイデアに触れ、自分の意見を交えて議論していくことで、投資仮説の精度はどんどん上がっていきます
CVCは、様々なところからの企業紹介だけでも多くの相談が寄せられると思います。それも大切なことですが、キャピタリスト自らが「この領域が面白い」「いろんな人に仮説をぶつけてみたい」と思って、自分の意志で起業家と話をしに行くことが非常に重要。それをお伝えすることは、今回のプログラムの大きなテーマでした。
ただ、錦織さんも仰ったように、自ら面談を設定して数を重ねていくのはとても大変です。それを一定のモチベーションで数ヶ月やり続けることが、実は一番難しいかもしれません。
小野薬品 錦織 スタートアップと面談する際は、社会の潮流、動向といったマクロの情報をしっかり自分のなかで確立したうえで臨むことが大切です。その軸がないと、スタートアップの事業理解の解像度が高まらず、面談が有意義なものとはなりません。
情報を整理したうえで投資仮説をなかなか持てずにいた時は、「誰のどのような困りごとを解決しているのか」という基本に立ち返るというアドバイスを頂きました。様々な面から、スタートアップが解決しようとしている課題を探り、仮説の根拠を検討する。このワークを徹底的に繰り返すことで、投資仮説を作る力が養われたと感じています。
ジャフコ 西中 投資仮説を立てるためには一定の情報や経験が必要で、一定の情報や経験を得るためには投資仮説を立てて起業家とたくさん話す必要がある。"ニワトリが先か、卵が先か"という問題は確かにありますよね。
小野薬品 小林 すべてではないですが、ファイナンシャルリターンを追求するVCと異なり、CVCには事業会社がバックにあります。スタートアップ側にとっては、CVCを通じて本体企業と接点がもてる可能性を、貴重な機会と捉えるケースは相応にあると考えています。
一方で、事業会社にとっての戦略リターンは何かを考えながら、スタートアップと事業会社の双方にとって最適な手段が投資なのかを考えることは重要だと考えています。
ーテックドクターへの投資は、どのような判断のもとで実行されたのですか。
小野薬品 錦織 テックドクターは、デジタルバイオマーカー(ウェアラブルデバイスなどから得られるデータを取得・解析し、病気の有無や治療による変化を可視化する指標)によるAI医療の実現を目指す企業です。
実は、この研修とは別ですが、リーダーの小林から、投資検討する前に背景情報やなぜ今投資を検討すべきなのか、今後どうなっていくのかなど、具体例を織り交ぜながら社内向けのレポートを作成して、経営陣を含む社内のコミュニケーションツールとして活用したいという要望を受けていました。
私が作成したレポートの一つにデジタルバイオマーカーを取り上げていたのですが、デジタルバイオマーカーは、治療にとどまらずヘルスケア領域において、これまで実現できなかった、さまざまな課題を解決する大きな可能性も秘めていることも同時に感じていました。今回の投資判断は、自身の経験と投資仮説を立てる際の学びをうまく結びつけることができたと感じています。
ジャフコ 西中 投資前の段階で、錦織さんが社内向けにレポートを作成されていたのですが、そのクオリティがものすごく高くて感銘を受けました。デジタルバイオマーカー産業の今後の見通しから投資の必要性を導き出した説得力のある内容で、ご自身の小野薬品でのご経験と坂がお伝えしたことを最大限に活かして実践されていると感じました。
教育を提供する側・受け取る側ではなく、共に課題を解決していく関係へ
ーテックドクターへの投資実行後、協業促進のためのワークショップが実施されましたが、その内容を教えてください。
小野薬品 錦織 投資検討をした小野デジタルヘルス投資の社内では投資先に対する一定の理解はあるものの、親会社である小野薬品とテックドクターの相互理解は今後の展開のカギになると考えました。CVCを含む小野薬品で新規事業に携わっている7名、テックドクターの経営陣を含んだ5名をお招きし、今後協業を実現していくにあたって「スタート地点に立つ」ことを目的にワークショップを実施させていただきました。
小野薬品とテックドクターのワークショップの様子
ジャフコ 西中 事業会社とスタートアップが面談すると、お互いに会社やプロダクトの強みや特徴を一生懸命伝えるあまり、結果的にいいことしか言っていないという状態になりがち。
新しい取り組みなので本来は課題だらけのはずなのに、その課題をざっくばらんに共有する場がないんです。ビジネスアイデアを検討する前に、お互いの課題を知り、目線をすり合わせていく。そのための場を設けさせていただきました。
ジャフコと小野薬品、テックドクターのみなさん
小野薬品 錦織 ワークショップ後、テックドクターのメンバーとは毎週のようにディスカッションが生まれており、現在、新規事業の創出に向けて、具体的な協業について検討を進めています。今回、ワークショップを通して両社の理解がより深まりました。
新たな価値の創出を目指して、活発なコミュニケーションが生まれている点は、このワークショップの大きな成果であったと考えています。社内の様々な部門からもテックドクターのケイパビリティを活用して何かできるのではないかという期待が高まり、検討が進み始めています。
ーでは最後に、今回の取り組みの総括を皆さんにお願いできればと思います。
小野薬品 錦織 今回のプログラムでは、投資実行までのプロセスの他、投資後の支援といった、実際にジャフコさんで実践されている一連の活動について詳しく学ぶ機会を得ました。個人の成長に留まらず、CVCでの活動の質や幅にも大きく反映できるものとなったと考えています。今回の学びを通して、投資先のスタートアップの成長支援、事業共創を更に充実させ、ヘルスケア領域で新たな価値創出に繋げていきたいと思います。
小野薬品 小林 小野デジタルヘルス投資はCVCとして後発の立場ではありますが、今回得た知見やノウハウを活かし、投資先スタートアップとの事業共創の取り組みを一層強化していきたいと考えています。製薬会社として長年培ってきた知見やネットワークを最大限に活かし、幅広いパートナーの皆さまと共にヘルスケア領域のイノベーションの実現に挑戦し、社会に貢献していきたいと考えています。
ジャフコ 坂 今回初めてこういう形でプログラムを実施させていただき、CVCの方が何を求めているかを深く理解することができました。あれからコンテンツのアップデートを繰り返していて、より伝わりやすい内容にしたり、プログラムを受けた方が社内に共有しやすいような内容にしたりと工夫を重ねています。プログラムを通じて、スタートアップに向き合ってくださる方が増えていくことを願っています。
ジャフコ 西中 最初のきっかけは「ベンチャーキャピタリスト育成」という文脈でしたが、教育を提供する側・受け取る側という一方通行の関係性ではなく、同じ目線と課題感の中で一緒に取り組ませていただけたことに大きな意義を感じています。事業会社とのこうした関係性は、当社にとっても当社の投資先スタートアップにとっても財産になると思います。貴重な機会をいただきありがとうございました。