起業を決めた背景や、事業が軌道に乗るまでの葛藤、事業を通じて実現したい想いを聞く「起業家の志」。
第44回は、株式会社セルファイバ 代表取締役社長の柳沢佑氏、創業者で代表取締役の安達亜希氏に登場いただき、担当キャピタリスト小林泰良からの視点と共に、これからの事業の挑戦について話を伺いました。
【プロフィール】
株式会社セルファイバ 柳沢 佑(やなぎさわ・ゆう)
東京大学 工学系研究科化学生命工学専攻にて博士号取得。在学中は、相田卓三研究室において、機能性高分子材料の研究を行う。 2018年2月にセルファイバ入社、同年5月に取締役就任、2019年6月より代表取締役就任。
株式会社セルファイバ 安達 亜希(あだち・あき)
東京大学 総合文化研究科 生命環境科学系(生産技術研究所 竹内昌治研究室)修士課程修了。 民間企業勤務を経て、JST ERATO竹内バイオ融合プロジェクト研究推進主任に着任。2015年4 月、竹内ら3名の研究室メンバーとともに、同プロジェクトの成果である細胞ファイバ技術をもとに株式会社セルファイバを設立し、代表取締役に就任。現在は、社内外の業務基盤整備責任者として、柳沢とともに代表を務める。
【What's 株式会社セルファイバ】
東京大学で開発された細胞カプセル化技術「細胞ファイバ」をもとに、2015年に設立。
同技術が細胞の大量製造に有効であることを実証し、国内外の製薬事業者と共同研究・共同開発を始めている。さらなる技術開発により細胞医薬品のコスト削減を実現し、誰もが細胞治療に手の届く社会を目指す。
細胞ファイバ技術で、高品質・低価格の細胞医薬品の量産化を目指す
ーセルファイバは細胞量産技術の開発に取り組む東京大学発スタートアップですが、その技術が用いられる「細胞医薬品」とはどのようなものですか。
柳沢 細胞医薬品は、細胞そのものを人体に投与して治療を行う薬剤。再生医療やがん免疫治療等への効果が期待されています。例えば、がん患者の血液から免疫細胞を取り出し、がん細胞を攻撃するように改変してから体内に戻す「CAR-T細胞療法」という治療法があります。それを2012年に受けたアメリカの白血病患者の方が、再発せず無事に10年生き続けたという報告は、記憶に新しいところです。これまで有効な治療法が見つからなかった疾患にCAR-T細胞療法が期待できると証明され、細胞治療への注目度はより一層高まりました。
ただ、細胞医薬品の製造は手作業がメインで、大量製造は困難。薬価も数千万円と高額で、年間数千人しか治療を受けられていないのが現状です。私たちは細胞ファイバ技術を用いて細胞を大量に培養することで、その課題を解決し、誰もが細胞治療に手の届く社会の実現を目指しています。
代表取締役社長 柳沢佑氏
ー細胞医薬品を量産化する上で、セルファイバの細胞ファイバ技術は画期的だとお聞きしています。どのような技術なのか教えてください。
安達 海藻由来のハイドロゲルでできた、髪の毛ほどの細さのチューブの中に細胞を封入し、その中で細胞を培養する技術です。従来の培養法で量産しようとすると、細胞が様々なダメージを受けて品質が低下してしまうのですが、細胞ファイバを用いれば品質を保ちながら従来の10倍のスケールで量産することができます。「果物を保護するネット」や「台風から人を守る家」のようなイメージです。
代表取締役 安達亜希氏
ー当初から細胞培養を目的に開発された技術なのですか。
安達 いえ、もともとは細胞を使って人工臓器等の大規模構造をつくることを目標として竹内研究室で生み出された技術でした。といっても、生き物である細胞はデリケートかつ不均一で、そのままでは工業的なものづくり材料として利用することはできません。そこで、まずは細胞をつかって大きさや形の規定された「部品」をつくり、それを組み立てることで大きな構造体を作製するというアプローチをとりました。そういった研究の中で生まれた「部品」のひとつが細胞ファイバです。細長いひもは、積み重ねたり編んだりと様々な組み立て方ができる優れた形状なのです。
2013年に細胞ファイバの論文が発表されると多くの企業から共同研究の申し込みがありました。ただ、この段階でもまだ細胞培養への応用には至っておらず、薬の効き目を調べるための動物実験の代替として人の細胞を閉じ込めた細胞ファイバを使うとか、あるいは人の体内にファイバを埋めて臓器の機能を補完するなどの用途が主に想定されていました。
会社設立後の2017年になって細胞ファイバが細胞培養に使えるという論文が発表され、製薬会社へのヒアリングなどから細胞医薬品の量産化の課題に細胞ファイバ技術が活かせるのではないかと考えました。それが現在の事業に繋がっています
ー技術の強みと市場のニーズがうまく合致したのですね。現在、事業はどのフェーズにあるのでしょうか。
柳沢 細胞医薬品の実生産スケールの基盤製造技術は確立しており、2023年10月には日立製作所との協業で、GMP(医薬品の製造管理及び品質管理の基準)対応を指向した細胞製造装置の試作機を公開しました。装置はつくって終わりではなく、顧客の医薬品製造現場への実装も必要になるので、今後はその工程に取り組んで顧客先での実用化を目指します。
ただ、最終的に目指しているのはその先。2026年以降、CDMO(医薬品受託製造)事業への展開を視野に入れています。細胞医薬品を製造する自社施設を構え、年間10万人分の医薬品を安価で出荷できるまでに事業を進めていきたい。そこまで実現できて初めて、「誰もが細胞治療に手の届く社会」へ近づくことができると考えています。
ー実現すれば細胞治療の普及が一気に進みそうです。そもそも安達さんがセルファイバの代表取締役に就任することになった経緯をお聞かせいただけますか。
安達 私はもともと、細胞ファイバ技術を開発した東京大学の竹内研究室で修士号を取り、民間企業を経て2014年に研究室に戻ってきました。ちょうどその頃、細胞ファイバ技術の事業化に向けて会社を立ち上げる話が出て、竹内教授が私を社長に推薦してくださいました。
「社長=表舞台でビジョンを語る華々しい経営者」というイメージが強かった一方で、研究室での私の仕事は事務方であったため、迷いがありました。でも、会社設立直後はむしろ地道な仕事が多く、実務経験があることに加えて事業や技術を理解している私が適任だと言ってもらい、一生に何度もある機会でもないのでチャレンジしてみようと決心しました。
ー柳沢さんはどのような経緯でセルファイバに参画したのでしょうか。
柳沢 私がセルファイバに入社したのは2018年。大学で生命科学を学び、一度就職したのですが、科学の分野で自分の強みになるものを改めて見つけたいと思い、東京大学大学院に入って材料科学等を研究していました。「技術が実際に社会の役に立つところを見届けたい」という想いで就職先を探していた中でセルファイバと出会い、ユニークな技術に可能性を感じて入社したという経緯です。
入社当時はまだ事業計画が具体的でない部分もあったため、安達と一緒に事業を模索したり、VCと面談したり、私も研究職でありながら経営者的な動きをしていました。その延長で私がビジネスサイドを、安達がアカデミアサイドの対応や組織づくりを担当することになり、2019年に代表取締役社長に就任しました。
安達が中心となって会社の基盤とコア技術の確立を進めたフェーズを第1期、私が中心となって細胞量産技術の開発を進めたフェーズを第2期とすれば、資金調達を経て新しいフェーズに突入した今はいわば第3期。目指すビジョンの実現に向けて、今後さらに事業を加速させていきます。
事業も組織も未熟な段階から、一緒に会社をつくってくれた
左から安達氏、ジャフコ担当キャピタリストの小林泰良、柳沢氏
ー2023年11月までにジャフコリードのシリーズAエクステンションラウンドで総額8.3億円の資金調達を実施されました。ジャフコとの出会いについてお聞かせください。
小林 2021年に私から柳沢さんにコンタクトを取ったのが最初です。私はもともと東京大学医科学研究所や豊田中央研究所でライフサイエンスを中心とした複数分野の研究に携わっており、ジャフコでは研究開発型スタートアップへの投資を担当しているので、竹内研究室の動向には注目していました。研究者という同じバックグラウンドを持つ者同士ということで、柳沢さんとは初回面談で3時間話すほど盛り上がりました。
ただ、技術や柳沢さんに投資を進めていくうえでの魅力を感じたものの、当時はまだ事業戦略ががふわっとして技術を「業」として確立させるための明確な答えを持っておらず、1年後に改めて連絡をしようと考えていました。するとちょうど1年後くらいに柳沢さんから「大きな資金調達を検討していてリード投資家を探している」と相談があり、再びお話しすることになりました。
ー柳沢さんがリード投資家を探す際に最初にジャフコに連絡したのはなぜですか。
柳沢 これまで100人以上のVCの方とお話ししましたが、技術をベースにしているスタートアップで、かつ私のような研究者出身の経営者の場合、VCが求める話と経営者が語れる話にギャップが生じがち。でも小林さんはご自身も研究者出身なので話していて違和感がなかったですし、事業の根本的な部分から粘り強くレクチャーしていただいたことが印象に残っていて、もし一緒に仕事をさせていただけたらうまく行きそうだなと思ったんです。
ー一度の面談だけでお互いに相性の良さは感じていたのですね。1年後に再び話して、投資するに至った決め手は何でしたか。
小林 目標とする市場がある程度できてきていて、事業も細胞医薬品やCDMOといった方向性に絞り込めてはいました。ただ、これは日本の技術開発系の会社全般に言えることでもあるのですが、業として会社の時価総額をどうつくっていくかという部分がまだ見えなかった。本来は事業を正確に理解するほど必要な資金額は下がり、出口の想定時価総額は上がるものですが、当時見せて頂いた資金調達計画は「なぜこの金額が必要か」を整理しきれていない印象でした。
投資するからにはきちんと資金を集めて、売上ベースで100億円・200億円を優に超える規模の事業を成立させて、グローバルに通用する日本の産業へと成長させたい。その想いは私も柳沢さんも同じ。ですので「まずはCDMOを専門的に理解する人材を仲間にしてください」と伝えました。CDMOを事業化するには何にいくらかかるのか、仮にM&Aされる場合はどのくらいの金額感になるのか等、戦略を明確化したいと。
私の経験上、日本はいわゆる「コトづくり」が得意ではないので、そのプロフェッショナル人材を探すことは決して簡単ではないと考えていました。だから2か月後に柳沢さんから「見つかりました」とメールを頂いたときには驚きました(笑)。
柳沢 展示会でたまたま知り合った古石さんという方(現:セルファイバ 取締役 最高戦略責任者 古石和親)がまさにCDMOのプロフェッショナルで、しかも前の会社の取締役を退任した直後だったので、さっそく相談してジョインしてもらうことに。私は昔からものすごく運がいいんです(笑)。
小林 実際にお会いして20分くらい3人で話しただけで「この2人なら行ける」と確信しましたね。そこからは密に連絡を取り合って事業戦略のディスカッションや既存投資家との交渉を進め、半年後には投資の道筋がはっきり見えました。
ー柳沢さんが最終的にリード投資家をジャフコに決めた理由もお聞かせください。
柳沢 小林さんには事業も組織も未熟な段階から真摯に向き合っていただき、私としては一緒に会社をつくってきた感覚だったので、ぜひ今後も伴走いただきたいと思いました。
あとは、パートナーの北澤知丈さんとお会いした際にどのような投資判断をしているのかお聞きしたら、あきらめないこと、やるべきことをやり続けること、をあげられていました。小林さんだけでないジャフコ全体の顔が見えた気がしたんです。そのときに、今後もうまくやっていけるイメージがはっきり持てたことをよく憶えています。
CDMO(医薬品受託製造)の事業化、そして日本発のグローバル産業へ
ー資金調達を経て、今後どんなことに取り組んでいきますか。
柳沢 直近はCDMOと協力してヒトに投与可能な細胞を供給できることの技術実証に集中します。その後は、先ほどお話しした自社施設での細胞医薬品製造を目指して取り組んでいきます。組織が強力になってきた分、グローバルに事業を展開していく上での自社の課題や、自分の経営者としての課題が以前よりも見えてきたので、現状をより精緻に分析しながら前に進むことができていると感じています。
安達 私はこれから産休に入り、復職後は引き続き人材採用や情報発信の面から会社の成長を牽引していきます。採用については、お客様のプロジェクトを成功させるためのサービス確立を担える技術者のポジションを積極的に採用していく予定です。会社とともに自分も成長していくという意志を持ち続けながら、今後も邁進していきたいと思います。
ー柳沢さんは研究者から経営トップとなり、今、経営者としてどんな想いを抱いていますか。最後にお聞かせください。
柳沢 経営に携わるようになり、スタートアップがビジネスモデルを仮説検証するプロセスは研究のプロセスに似ていると気づきました。「柳沢さんは今、社会実験に挑んでいる」と小林さんが仰っていましたが、そう捉えると研究者と経営者はそう遠いものでもないなと感じます。
私には、当社の技術を日本発のグローバル産業として成立させ、細胞治療のスタンダードにするという使命があります。技術が社会の役に立つところを見届けるまで、覚悟を持って取り組んでいきます。
担当者:小林泰良 からのコメント
CAR-T細胞療法のブロックバスター出現とともに、細胞医薬は次の産業ステージに到達したと考えられますが、商業的量産化には課題があります。セルファイバは設立以来、創業科学者と安達さんを中心にコア技術の開発を、柳沢さんを中心に細胞培養技術の開発を進め、高機能細胞をGMPレベルで大量供給できる革新的技術を手にするに至りました。ここからは技術開発(モノづくり)と並行してグローバル水準のプロセス(コトづくり)を証明するステージに突入。新しい事業推進メンバー・投資家シンジケーション・国の支援...とさらに拡大したプロジェクトを、今後も実直な二人が中心となってまとめ上げて成功へ導くと信じています。患者さんへ廉価に革新的医薬品を届ける標準技術を証明するため、引き続き全力で応援していきます。