起業を決めた背景や、事業が軌道に乗るまでの葛藤、事業を通じて実現したい想いを聞く「起業家の志」。
第30回は、株式会社THIRD 代表取締役の井上惇氏に登場いただき、担当キャピタリスト富永司からの視点と共に、これからの事業の挑戦について話を伺いました。
【プロフィール】
株式会社THIRD 代表取締役 井上 惇(いのうえ・じゅん)
新卒で大手ITベンダーへ入社しDBエンジニアとしてキャリアをスタート。その後、外資系投資銀行にて金融商品設計/マーケティング担当。その後外資系のPEファンドの傘下で証券会社の立ち上げを経験。企業再生/経営コンサルティング会社にて不動産業界向けのコンサルティングチームの責任者を経たのちに、株式会社THIRDに入社、代表取締役に就任。
【What's 株式会社THIRD】
AI不動産管理クラウドシステム「管理ロイド」、AI工事金額最適化クラウド「工事ロイド」を提供。2019年11月にリリースした管理ロイドは現在1,500社を超える管理会社に利用されている、建物管理クラウドシステムシェアNo1プロダクト(※)となっている。THIRDはSaaSソフトウェアの提供以外に、経営コンサルティング、工事コンサルティングを提供する事で、システム提供の枠を超えて不動産管理会社の経営課題の改善を支援している。(2022年10月時点)
※ 2022年6月期_指定領域における市場調査 調査機関:日本マーケティングリサーチ機構
不動産管理業界の根深い課題をIT・AIで解決する
ー様々な業界を経験されてきた井上様が、不動産業界で事業を行うことになったいきさつをお聞かせください。
井上 THIRDはゼネコン出身の創業社長が立ち上げた会社で、私は事業継承で代表になりました。起業家の祖父とMBAホルダーの父のもとで育ったため、昔から起業には興味があったのですが、不動産業界で事業をやることになるとは夢にも思っていませんでした。
将来起業するならITが欠かせないと思い、最初の就職で選んだのはエンジニア。次はお金のことを学ぶために金融企業に転職し、事業の"手触り感"が味わえる仕事も経験しておきたいと考えて経営コンサル会社に入りました。
その間も起業のネタはずっと探していたのですが、自分の一生を懸けたいと思えるビジネスにはなかなか出会えなかった。そんな中、大手不動産デベロッパーの経営支援に携わり、不動産業界の課題を肌で感じたことが転機になりました。
ーどんな課題にビジネスチャンスを見出したのですか。
井上 不動産事業の本質は投資なので、投資効率を最大化させるためには物件を効率よく建てることが優先されます。だからR&Dがなかなか進まず、業界自体が進化しにくいのが実情です。
また、業務はブラックボックス化しており、IT化やデータ活用も他産業と比べて遅れをとってしまっています。私たちの住生活に密接し、凄まじいGDPを叩き出している業界でありながら、改善の余地が大いにある。そこに興味を持ちました。
そんなときに仕事で出会ったのがTHIRDの創業社長。当時は建築コストや設備コストを削減するコンストラクションマネジメント事業をメインに展開していて、社長の豊富なノウハウにいつも感銘を受けていました。その後、社長が高齢のため会社を継いでほしいという話を受け、今こそ「不動産業界の改革」に挑むチャンスだと考えて代表に就任しました。
ー技術コンサルティング会社だったTHIRDが、現在の主要プロダクト『管理ロイド』を開発することになったきっかけを教えてください。
井上 当時、お客様であるデベロッパーの建築コスト削減の一環として、ゼネコンを入れる代わりに自社で抱える現場監督を派遣して現場を取り仕切るプロジェクトをたくさん手がけていました。そうなると自分たちが竣工したホテルやビルの検査まで担う必要が生じ、不動産管理会社から膨大な点検報告書の提出を求められるようになったのです。
不動産管理ビジネスは典型的な「多重下請け構造」。受変電や空調といった様々な設備をメンテナンスするには、各分野のプロが必要になるので、協力会社やさらに下請けの会社に委託するのが一般的。その結果、業務プロセスが非常に煩雑になります。
複数の会社をまたぐと同じシステムが使えないので、下請け会社は郵送やFAXで点検報告書を元請け会社に送り、元請けはそれをチェックしてオーナーへ報告する。報告書は1物件あたり月間300枚くらいになるケースもあるため、たとえば担当者1人あたり20物件管理している元請け管理会社には月間6,000枚の紙の報告書が届く計算になります。
そうした煩雑で非効率な業務を改善するシステムがあれば、まずは自分たちで使って業務負担を削減しつつ、サービスとして展開できるかもしれない。そんな発想から生まれたのが、不動産管理実務の労働生産性を改善する『管理ロイド』です。
ー『管理ロイド』を導入すると具体的にどう業務改善されるのですか。
井上 元請け会社が導入すると、物件管理に関わるすべての人がアプリを使えるようになり、アプリに点検結果を登録するだけで元請けにデータが自動で共有されます。つまり、点検結果を転記したり、印刷や郵送をしたりする作業が一切排除されるというわけです。さらに、これまでは点検結果を手書きしていましたが、スマホでメーターを撮影すればAIが解析してくれ、数値とエビデンスを簡単に確認できる仕組みもつくりました。
導入の成果ですが、たとえば検針業務ですと業務量が半分〜3分の1になったという事例が多いです。全社レベルでは20〜30%ほどの業務改善につながっているとお聞きしています。不動産管理業界は高齢化が進み、人手不足が深刻。機械に任せられる業務は機械に任せて、人にしかできない分析等の業務を「不動産管理の仕事」として再定義できれば、若い人にもっと魅力を感じてもらえる業界になるのではないかと考えています。
ー代表に就任されてから主事業を大きくシフトしてきましたが、その中で最も大変だったことは何ですか。
井上 実は『管理ロイド』の前身のプロダクトがありまして、その最初のお客様を開拓するまではとても苦労しました。不動産管理のマーケットを席巻するには業界上位の企業にサービスを提供する必要があると考えていたのですが、大手企業は事業も組織も大規模なので、単一の課題を解決すればいいわけではありません。連鎖する課題の中から根っこの課題を特定して、現場課題と経営課題をつなぎ合わせながら解決していくことが求められます。
根本的な課題を突き止め、大手企業の多岐にわたる不動産管理業務を包含するようなプロダクトを開発するには、お客様以上にビジネスや実務を理解することが重要。技術的なコンサルティングからスタートした当社には、もともとコストラクションマネジメントに特化した優秀な現場監督が集まっていて、40年間ほどで培った現場のノウハウが豊富にありました。
手がけてきたコンストラクションマネジメントのプロジェクトは設立時から3年間でおよそ50件で、私が代表になってからは、建物の企画段階から建築コスト削減や管理までトータルでコンサルティングするようになり、現在も不動産管理会社に技術的なコンサルを提供する専門部隊がいます。そうした自社のノウハウを活用し、試行錯誤しながら開発と提案を行いました。
その結果、大手の企業さんのニーズにあわせた提案につながり、契約させていただくことができ、自社プロダクト事業の突破口に。その後『管理ロイド』にピボットしてからも大手企業とのお取引を拡大できているのは、バーティカルSaaSで最も重要なポイントを押さえることができたからだと思っています。
厳しい情勢の中でも、成功の可能性に賭けてくれた
井上氏とジャフコ担当キャピタリストの富永司(左)
ー2022年8月にジャフコのリード投資でシリーズBラウンドに26億円の資金調達を実施されました。ジャフコとの出会いについてお聞かせください。
富永 2020年5月、ちょうど最初の緊急事態宣言が出ていた頃ですよね。私からご連絡して、お互いオンラインにまだ慣れていない中でZoom面談をしましたね。
井上 そうでした(笑)。当時は他で資金調達中だったので本格的には考えていませんでしたが、やっぱりジャフコさんは老舗で、いい会社をたくさん上場に導いてこられたVCですので、いつかは投資していただきたいと思っていました。
ーキャピタリストとしては、THIRDのどのような点に魅力を感じたのですか。
富永 日本は人口減少が加速していますが、労働生産性や給与水準は一向に上がらず、このままだとどの業界もシュリンクしてしまいます。そのため生産性を高めていけるようなプロダクトに興味がありました。業界が抱える課題はそれぞれ特殊で根深いので、根本的な課題を解決して業界の未来を切り拓いていける事業に投資したいという思いがあった中で、THIRDと出会いました。
井上さんは外資系のITや金融企業等カッチリしたご経歴をお持ちですが、実際にお会いするとコミュニケーションの取り方がとてもソフトで、最初はギャップに驚きました。本心では何を考えているんだろうとドキドキしたほどです(笑)。でも業界の実情や事業内容を詳しくお聞きして、業界の課題感やそこに向き合う井上さんの情熱を知り、今後ぜひ投資を検討させていただきたいと強く思いました。
ー初回面談から今回の資金調達まで約2年。シリーズBを検討・実施するまでの経緯を教えてください。
井上 その期間は事業が順調で利益も出ていたので、投資戦略も含めた成長の方程式を自分なりにつくった上で、次回の資金調達を本格検討したいという思いがありました。富永さんとは2〜3か月ごとにお話ししていたので、いざ検討のタイミングが来たときにはすぐにご相談させていただきました。
ただ、検討中にウクライナ危機が起きて、いわゆる「SaaSの春」が終わったと個人的に感じていたところ、資金調達先候補として相談していた海外VCも株式マーケットの将来ビューが急にネガティブになりました。国内のVCさんも他社の動向をうかがっている感じでした。その中でジャフコさんは徹頭徹尾、当社のビジネスを高く評価してくださった。ジャフコさんなりのシナリオの中で様々な検証をされた上で、成功の可能性に賭けてくれたことが嬉しかったですね。
富永 この2年間、井上さんとお話しするたびに事業の成長を実感していました。技術コンサルで培った不動産現場のノウハウと、世界的コンテストでも実績を残しているエンジニアチームによるITやAIのノウハウ、この両輪のバランスが非常に優れている点がTHIRDの強み。
バーティカルSaaSは業界を広げることが難しい分、お客様の様々な課題をいかに深く掘り下げて解決できるかが重要で、その点、THIRDは自社の強みを存分に活かして事業を伸ばしていたので、この先も成長を続けていずれは業界のイノベーターになるだろうという未来が見えました。
ー資金調達を完了し、すでに動き出している取り組みはありますか。
井上 当社が前々からアプローチしたいと考えていた不動産管理会社の役員の方をジャフコさんに紹介いただき、お取引の話が具体的に進んでいます。また、『管理ロイド』の開発強化はもちろん、現在β版を提供している修繕工事適正化クラウドシステム『工事ロイド』においても、工事の適正な見積もりをAIが自動査定する機能の開発強化等を進めているところです。
私たちの事業に経済合理性があることが前提ではありますが、そこを満たせば力強くサポートしていただけると思っているので、今回のラウンドだけでなく長期的に伴走いただけたらありがたいですね。
富永 投資はあくまでスタート地点で、その後どう一緒に会社を成長させていくかが重要ですので、最大限の支援をさせていただきたいと思っています。
不動産管理のポテンシャルを活かし、新たな挑戦へ
ー業界の業務改善の先に目指しているビジョンを教えてください。
井上 この業界は高いポテンシャルを持っています。というのも、不動産管理の情報は基本的にストック型。たとえば『管理ロイド』『工事ロイド』にメンテナンスや修繕工事の履歴がどんどん蓄積されていくと、マンションやビルの格付けができるようになるんです。不動産の資産価値を保証する情報というのは今の世の中に存在しないので、ゆくゆくは中古不動産の信用情報を提供するプラットフォーム事業も視野に入れています。
また、日本の不動産管理のクオリティは非常に高く、世界輸出できる可能性も十分にある。『管理ロイド』は海外製のメーターも読めるので、現在すでにアジアに進出し始めています。今後、ワールドクラスの管理が求められる各国の不動産(例:ファイブスターホテル等)にも当社のプロダクトとノウハウを提供するチャンスはあると考えているので、国内の次は海外マーケットも目指しています。
ー最後に、起業家の皆様に向けてメッセージをお願いします。
井上 私が常に意識しているのは、自分一人で経営している感覚にならないこと。経営ボードや従業員、投資家の皆さん、過去に築いた人脈等、すべての人たちに感謝して自分が貢献できることを実践し続けていく。その行いはいずれ必ず自分に返ってきます。
お客様との関係性も同様。お客様の期待値を超える価値を提供し続けていると、単なるベンダーではなくビジネスパートナーとしてお付き合いできるようになります。私たちもお客様から「『管理ロイド』を導入して労働生産性が改善されただけでなく、現場で働くスタッフの意識が変わった」という声をいただく等、深い信頼関係を築けていると感じる場面がたくさんあります。そうしたお客様がどれだけいるかでビジネスの広がり方が変わってくるので、起業家としてとても大切な姿勢なのではないかと思います。
担当者:富永司 からのコメント
近年スマートビルディング等が推進される一方、不動産管理の現場の多くはまだまだアナログで、働く人の高齢化も進んでいます。人口減少の中でも業界を維持していくためには、現場業務を見直して労働生産性を高めることが急務です。THIRDが提供しているのは、業界の根深い課題に切り込みつつ、実際のユーザーが使いやすいように現場目線も追求された稀有なプロダクト。不動産管理の現場とITを知り尽くしたメンバーが揃うチームだからこそ実現できている事業です。さらに、井上社長は人を巻き込む力に長けた経営者で、お客様とのリレーション構築やファイナンスも強みを発揮しながら力強く推進されています。同社が不動産管理業界のデファクトスタンダードを確立できるよう、全力で支援させていただきます。