起業を決めた背景や、事業が軌道に乗るまでの葛藤、事業を通じて実現したい想いを聞く「起業家の志」。
第20回は、株式会社Splink代表取締役社長の青山裕紀氏にお話を伺いました。
【プロフィール】
株式会社Splink 代表取締役社長 青山裕紀(あおやま・ゆうき)
2005年に慶應義塾大学法学部を卒業後、株式会社キーエンス入社。同社北米ビジネスにおける事業開発、ブラジル法人設立、メキシコ法人マネジメント等に従事。その後、シリコンバレーVCにてEiR (Entrepreneur in Residence)を経て、2017年1月に株式会社Splinkを設立、代表取締役に就任。ダートマス大学経営大学院(MBA)修了。
【What's株式会社Splink】
「すべての人につながりを、その日まで」というビジョンに向かい、2017年1月に創業。
記憶や学習の中枢を司る海馬を脳MRI画像からAIで測定する脳ドック用AIプログラム「Brain Life Imaging®」、専門医の暗黙知を形式知に置き換えることをコンセプトにした脳画像解析プログラム「Braineer®」を提供。認知症という社会課題に対し、健常段階の予防から発症後の病気と共生できる社会に寄与する、一貫したソリューションをワンストップで手掛けている。ブレインヘルスケアを世界の当たり前にし、100歳になっても自分らしく生きられるよう、脳の健康に新しい可能性を生み出している。Splinkは、ビジョンに共感を持ち、その実現のために集結した、各分野のスペシャリストの集合体です。
Portfolio
医師の経験や勘に頼ってきた脳疾患の診断を、テクノロジーの力で変えていきたい
―起業のきっかけを教えてください。
社会人8年目のとき、父が重度の脳疾患と診断されたことがきっかけでした。母からその一報をもらったとき、キーエンスで海外を飛び回っていました。「このまま業績トップを取り続け、将来キーエンスの社長になるんだ」と本気で考えていました。
父はその期間ずっと、十数年にわたって病気に苦しんでいた。その事実に、ものすごくショックを受けました。いくつ病院を回っても疾患が見落とされ、たらい回しにされていた。私はキーエンスというグローバルテック企業で、技術ソリューションによる課題解決を目の当たりにしてきたこともあり、医療という優秀な人が集まる領域で十年以上も見つけられないなんて、どうしてどんなことが起こるのか。憤りと疑問でいっぱいになりました。
―大学卒業後にキーエンスを選んだのは、最先端のテクノロジーに触れたいという想いがあったのでしょうか。
テクノロジーそのものというより、幼い頃からものづくりに興味がありました。父がエンジニアだったので、仕事の仕方やものづくりへのこだわりを聞いて育った影響が大きかったですね。もう一つは、経営者になるための力を最短で身に付けたかったからです。高校生のとき、アメリカ留学中にニューヨークのエンパイアステートビルから見た夜景に圧倒され、「世界で勝負できる経営者になりたい」と思うようになりました。
そして、若いうちから経営の経験を積めて、ものづくりに携われる場所がキーエンスでした。営業としてだけではなく経営に近い場所で、そして20代にして海外で仕事ができるチャンスがあったことも大きな魅力でした。
―事業会社のトップを目指すのではなく、起業してゼロから立ち上げるのには、大きなマインドチェンジがあったのでは?
北米現地法人に駐在させてもらい、ブラジルやメキシコで現地法人の立ち上げを経験させてもらったことが大きかったですね。何もないところから組織を作り、成果を出して還元することで、現地の人たちが笑顔になっていく。その姿を見たときに、自分の中での仕事の意味が変わったのです。どれだけ周りに貢献できるか、社会のために動けるかが大切だと考え始めたのが、メキシコにいた頃でした。
その頃、ちょうど父の病気のことが重なり、「自分なら、この課題をどう解決できるだろうか」と調べ始めたことが、Splinkの創業につながりました。
―医療領域での起業に向けて、どのようなリサーチや準備を進めましたか。
父のような状況がなぜ起こるのかを調べていくと、中枢神経と言う脳の分野では、診断において再現性が他分野と比べて乏しいことに気付いたんです。複数の病院を渡り歩いて受診しても、ある専門医に出会うまで発見されなかった。検査する病院によって診断に相当バラつきがあったということです。そこで、テクノロジーを使って診断に再現性を持たせられないか、という問題意識に結びつきました。
一足飛びに起業しようとは考えず、その分野で技術のある企業に転職する選択肢も考えました。でもどうやら世の中にそうした技術はなく、マーケットもこれからできてくることが分かってきた。この課題に向き合うには起業しかないだろうと意識し始めたのが、リサーチを始めて3か月経った頃でした。
では、事業として実現させ、グローバルで勝負するにはどうすれば良いか。医療のバックグラウンドもなければ、研究の経験もなく、医療ビジネスの商習慣も知りません。そんな自分が一番手っ取り早く事業化を検証できるのが、アメリカでビジネススクールに通うことと、ベンチャーキャピタルで起業家たちの先進事例を学ぶことだと考えました。
そこで、バイオテックに強い東海岸のダートマス大学のビジネススクールに通いつつ、スタートアップの聖地・シリコンバレーを行ったり来たりすることに。ビジネススクールは、3か月勉強したら次の3か月はお休みというスケジュールだったので、長期で授業がない期間はシリコンバレーで現地の人の家の片隅を借りて、ベンチャーキャピタルでディールソース(投資案件探し)やデューデリジェンス(案件の精査)、空いた時間で事業プランを考えて、これでどうだ、と千本ノックをし続けるような日々を過ごしました。
―ビジネススクールで医療ビジネスを学び、ベンチャーキャピタルでスタートアップ経営の理解を深め、2017年にSplink創業。満を持してのスタートでしたか。
当時はそう思っていましたね。医師の経験や勘に依存するだけではない、再現性を生む診断ツールのアイデアはビジネススクール時代に思いつきました。匠の技で病気を発見することも大事ですが、一般のドクターたちによる見落としのないツールを提供することで、医療全体を一歩前に進めることができるのではないか、と。
今振り返れば、粗削りすぎて「もうちょっと考えろ」と言いたいですが、そのときに大胆に飛び込めたから、先の道ができていったのだと思います。
業界慣習を知る組織づくりの強化へ。
―創業時に最もパワーをかけたのは何でしたか。
仲間探しです。シリコンバレーで話を聞いた起業家たちの多くに「初期のメンバーが一番重要だ」「そのメンバーのレベルが成長スピードを決める」と助言され、創業までの2年間で300人以上のエンジニアと研究者に会いました。
そして最初に入ってくれたのが、創業メンバーの笠井航でした。彼はIBMやソニーの研究所で機械学習や深層学習を手掛けていたエンジニアで、キーエンス時代の人脈から「優秀でマッドな人材」として紹介されたんです(笑)。事業内容や解決したい課題を伝えると、「それなら、こういう技術を使ってこういうシステムをつくればいいですよ」と言ってくれました。物静かなんですが、芯のある感じで信頼できそうでした。AIもシステムエンジニアリングもできる笠井とやれたら面白くなると確信し、半年かけて口説きました。
―事業を進めていく中で、大変だったこと、ぶつかった壁はありましたか。
製品をイチから創る経験がなかったことです。きちんと販売できる状態に作り上げグロースさせていくのはすべてが初めてで、最初は苦労しました。
まず注力したのはデザイナーの採用。医療業界はまだまだ旧態依然としており、UI/UXが作り込まれているシステムやサービスが多くはありません。医師ごとに専門領域や研究分野、知識量が全く異なるため、サービスを使う医師のセグメントをかなり細かく設定した上で、UI/UXを作っていかなければいけない。こうした、業界特有の事情に気付くまでに時間がかかりました。
それに対して、最初のデザイナーの紫藤はひたすら論文を読み、それをプロダクトにどう反映させるかを検証してくれました。生活者・患者さんが直接触れる、認知機能測定ツールや脳ドック用AIプログラムは軌道に乗りつつあるので、これからは、脳画像解析プログラム「Braineer®」で、さらに医療の世界にディープダイブしていきます。そのためには、利用してくださる医師たちのペルソナを見極めながら、実臨床の場で活用いただけるような仕組みづくりが重要だと考えています。
―販売チーム構築の背景には、どんな課題があったのでしょうか。
医療機器や医療用ソリューション販売の世界には、細かなルールや商習慣があります。それらをしっかり理解していなければ、医療機関はもちろん、医療機器の販売代理店に相手にされません。創業時は、医師たちのニーズを知るためにも、私自身が営業として医療現場を回っていました。しかし、ファイナンスやバックオフィス業務のために営業を離れた途端、現場理解が浅いメンバーでは売れなくなってしまった。
ちょうどコロナ禍が重なり、より効率的な営業活動が求められたタイミングで、チーム体制を見直すことにしました。今は、経験豊富な営業マンを中心に、営業チームを立ち上げているところです。独特の商慣習に加え、私がキーエンスで長年培った営業の仕組みを導入して、サービス提供を加速していきます。
―事業フェーズに応じて最適な人材を採用するために、取り組んでいることはありますか。
事業側のメンバーはほぼ私が連れてきました。共通しているのは「素直さ」と「前向きさ」。「根性」もあるかな(笑)。
採用時には、Splinkが目指す"新しい産業"について話します。再現性のなかった脳の診断や健康測定に指標をもたらし、どの医師が診てもきちんと予防や治療といった介入が届く世界がくれば、脳疾患のあり方は変わるんだ、と。そこに共感いただけることは大前提です。
それともう一つ。2020年末からは社員みんなでバリュー(行動指針)を作ってきました。
「みんなで決める」ことにしたのは、2020年に採用した人たちの定着率が低かったからです。コロナ禍の影響でオンボーディングがうまくできずに離れていってしまった。リモートワークで顔を合わせなくてもみんなが同じ方向を向くための"何か"が必要だと考え、ミッション・ビジョン・バリューの見直しに乗り出しました。2021年夏にバリューが固まり、それに連動させるように、人事が評価制度や福利厚生、採用基準を作ってくれた。組織のあり方は、まさにこれからリビルディングしていくところです。
膨大なケーススタディに支えられた、ジャフコのアドバイスが心強い
青山氏とジャフコ担当キャピタリストの北澤知丈(左)
―ジャフコをリードインベスターに、2019年4月に4億円、2021年11月に11.2億円の資金調達を実施しています。資金調達は創業時から考えていましたか。
外部資本をすぐに入れようとは思っていなかったです。プロダクトの方向性が固まり、医療業界に適切にネットワークを作っていくことは、そんなに簡単じゃない。3年くらいはきちんと売り上げを立てて、持ち出しを低くしていこうと考えていました。
でも、二期目には黒字化を達成できたので、組織を大きくして次のステップに行くためにファイナンスをすべきだと、準備を始めました。
―ジャフコとの出会いのきっかけとは?
ジャフコの社外取締役をされている田村さんが、ビジネススクールの先輩だったんです。田村さんから「(ジャフコの)豊貴社長に会ってほしい」と言われたのですが、当時は資金調達を考えていなかったので、ずっと断っていました。
田村さんには「それよりも経営者に会いたい」とわがままを言って、エムスリー代表取締役の谷村格さんやLIXILグループCEOの瀬戸欣哉さんを紹介していただきました。学びが多くて満足していたら、「そろそろ俺の言うことを聞けよ」と言われまして(笑)。そうですよね、とジャフコとコンタクトを取ることになりました。2018年の秋ごろでした。
―出資されるまでは、定期的に会っていたのでしょうか。
いえ、2019年1月に資金調達をしようと決め、ひっそり動いていました。先輩の"縁故"には頼らず、自分で切り拓きたいという想いが強かったんです。これは、資金調達に限らず、経営者として公私峻別を大事な価値観としていたためです。
数社のVCと会う中で、資金調達を通じて株主とどういう関係を築きたいか自分の中で明確になり、ジャフコに入っていただくようお願いしました。決め手は、ディープテックに注力しているジャフコのスタンスが私たちの目指す方向と同じだったこと。そして、担当の北澤さんとの相性でした。
―北澤さんのどんなところが、一緒にやっていく決め手になりましたか。
外見からは見えにくい秘めたるパッションと、器用そうに見えて実は不器用なところ。信頼できるなと感じました。
北澤さんは、正直、メディカルの専門家ではないと思うんです。事業の細かいところは分かっていないかもしれない(笑)。でも「あなたのことを信じるので投資します」という姿勢がとてもクリアだった。スタートアップ経営の実例をたくさん見てきた上で、「投資しよう」と決める思い切りの良さは、他のVCとは違うと思いました。
―資金調達を経て、ジャフコとの関係はどう変わりましたか。
必要に応じたサポートには、とても助かっています。スタートアップは、従業員規模が10人のときと30人、50人のときでは悩みが全く違います。
私にとっては初めてのグロースフェーズでも、北澤さんは何百社ものあらゆるケースを見てきている。「今こんなことに悩んでいる」と話すと、「他では、こんな風に対応してうまくいっていました」と、業界に限らず様々な事例を教えてくれます。
北澤さん以外のジャフコのメンバーには研究開発型/ライフサイエンス・ベンチャーの専門部隊がいて、バイオテックや医療ビジネスの専門領域に関するアドバイス、有識者のご紹介など、手厚い体制でサポートいただいています。
他にも、採用を含めた組織づくりにも入ってもらったり、必要な人材を粘り強く一緒に口説いてくれたりと、ジャフコなしではできなかったことがたくさんありますね。
勝てることではなく、やりたいことをやる。その時に、見えている世界から出れば、大きな事業に繋がる
―これから実現したいことは何ですか。
日本発のテクノロジーで世界の高齢化課題を解決したいと、本気で考えています。日本に次ぐ高齢化社会はドイツですが、日本はその十年先を行っている課題先進国です。中枢神経領域における世界トップレベルの優秀な医師たちと作ったプロダクトを育て上げれば、日本発の科学技術でグローバルに勝負していける。世界のマーケットが、これから確実に高齢化課題に追いついてくるからです。
グローバルビジネスをやるための経験や人脈は私が持っているので、今は、胆力を持ってものづくりをやり切ることが重要です。
創業から4年半で、大きなコミットメントに対して、それをやり切れる強いチームを作ってきました。プロダクト開発と、それを提供するための組織づくりを益々強化すれば、この事業を進める上で世界一の環境と機会が揃います。プロダクトに情熱を注ぐものづくりのマインドと、素直な心を持った方には、ぜひジョインしてほしいと考えています。
―起業家として、一貫して大事にしてきたことや信念はありますか。
仲間を信じることと、責任を取ること、逃げないこと、この3つです。仲間を信じているから任せるし、任せたときにうまく行かなくても絶対その責任から逃げない。「責任から逃げない」ということは、創業以来ずっと大切にしています。
―これから起業家を目指す方へのメッセージやアドバイスはありますか。
起業する人には、それぞれの考え方があると思います。私は、「自分が本当にそれをやりたいか」を事業のスタートにした方が、結果として頑張れると思っています。「自分が勝てるところでやる」のは、自分の見える世界でしかないので、それ以上の広がりがない。自分が見える世界以上のことをやるからこそ大きな事業がつくれるし、評価が得られる。そして、社会へ提供できるバリューに繋がると思っています。勝てる仕事をするのは「事業家」だと思うので、その道を選ぶなら勝つべきです。見えない世界を見に行くのが、起業家たるものだと思っています。