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19歳で選手から起業家に!業界の最前線で「eスポーツの産業化」をリードする
19歳で選手から起業家に!業界の最前線で「eスポーツの産業化」をリードする

起業を決めた背景や、事業が軌道に乗るまでの葛藤、事業を通じて実現したい想いを聞く「起業家の志」。第16回は、プロeスポーツチーム『REJECT』を運営する株式会社REJECT 代表取締役CEO 甲山翔也氏にお話を伺いました。

【プロフィール】
株式会社REJECT 代表取締役CEO 甲山 翔也(こうやま・しょうや)
1999年、大阪府生まれ。10歳よりeスポーツ選手として活動を始め、多くの実績を残す。同志社大学2年生だった201812月、前身となる「株式会社CYLOOK」設立。同時に選手を引退し、チーム経営・マネジメントに専念する。20193月、当時まだ黎明期だったモバイルeスポーツに参入し、一躍強豪チームとなる。2021年4月、シリーズAとして3.6億円の資金調達を実施し、社名を「株式会社REJECT」に変更。同年9月に新オフィスとなる「REJECT GAMING BASE」オープン。自身が選手だった経験を活かし、今でも自ら積極的に選手スカウトを行っている。


What's 株式会社REJECT
eスポーツを時のブームで終わらせない、世界を照らす次世代のエンターテインメントへ昇華させるべく、プロeスポーツチーム「REJECT」運営事業・アパレル事業に加えて、eスポーツ大会運営事業、eスポーツ教育事業、eスポーツ人材事業、eスポーツコンサル事業など新たな事業を展開。eスポーツを通したあらゆる経済活動を通して、世界の全ての人へ「人生を彩るeスポーツ体験」を提供し、世界に誇れる産業を創る。

Portfolio



学生起業の裏に隠された波乱のストーリー

ーeスポーツ選手から起業家に転身した甲山様ですが、ゲームとの出会いはいつ頃でしたか。

eスポーツ界でプレイされる、いわゆるオンラインゲームを始めたのは小学5年生の頃。幼稚園からの大親友が『カウンターストライク』というゲームを紹介してくれて、毎日Skypeで通話しながら一緒にゲームしていました。僕は昔から空手を習っていて体も強かったのですが、正義感の強い性格のせいか小学生の頃はいじめられていました。だからゲームにいつも救われていましたし、オンライン上で友達とお喋りしながら一緒に何かできることが楽しくて仕方なかったんです。ノートに戦術を書き出しては、親に怒られないように朝早く起きてゲームして...。そんな日々を送るうちに徐々に腕が上がり、中学に入ってからは大会にも出るようになりました。


ープロ選手を目指すようになったのはその頃でしょうか。

実は、僕の実家は東大阪の町工場で、父の後を僕たち3兄弟の誰かが継ぐことになっていました。兄はバンドマンだったので、昔から何となく「自分が継ぐんだろうな」という予感があり、経営の勉強をするために大学に入ってビジネスコンテストに参加したりしていました。だから当初はプロeスポーツの道に進むつもりはなかったんです。

家業を継ぐ前に自分がしたいことを本気でやろう。そう思い、受験で休んでいたゲームを大学時代に本格的に再開しました。当時、『カウンターストライクオンライン2』という人気FPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)があったのですが、僕は公式オフライン大会3回のうち2回出場してどちらも優勝。『PUBGPLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS)』というバトルロワイヤルゲームの大会でも優勝するようになりました。

「プロ選手としてやってみないか」とオファーを受けたのはその頃。プロチームを持つことが夢だというオーナーから、「甲山くんを筆頭にPUBGでチームを作ってほしい」と声をかけてもらったんです。月給はひとり10万円。当時は大会で優勝してもゲーム内マネーしかもらえないことが普通だったので、毎月給料をもらって長く続けられることが嬉しく、強いメンバーを張り切って集めて4人チームを作りました。それが『REJECT』の前身チームです。

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ー現在は選手を引退されていますが、プレイヤーからマネジメント側にシフトしたきっかけは?

チーム発足からわずか2ヶ月でオーナーが失踪したんです。当時はプロeスポーツチームの収益化の前例がほぼなく、運営に行き詰まったのだと思います。僕が誘ったチームメンバーは、ゲームに人生を懸けるべくバイトも辞めて集まってくれた人ばかり。約束していた給料も払えない状況に陥り、ものすごく責められました。

僕が代表になって給料を払うしかない。そう腹を括って、チームマネジメントの知識は全くないまま2018年に19歳で株式会社を設立。選手には「月1万円から始めさせてください」とお願いし、まずは資金を稼ぐために、前から勉強していたWebのスキルを活かしてHP制作の仕事を請け負いました。最初はプレイヤーも続けるつもりだったのですが、とてもじゃないけれど両立できない状況だったので、選手は引退することに決めました。


ー苦渋の決断だったのですね。ご両親には反対されませんでしたか。

大反対されました。家を継ぐはずだったのに学生起業で、しかもeスポーツという親世代には馴染みのない領域だったので当然だと思います。でも、必死に説得して最終的には許してもらい、先輩経営者である父からは「挑戦してみろ、応援する」「社員や仲間は命だぞ、お前ひとりで何かできると思うな」と心強い言葉ももらいました。今では僕たちが出る大会を毎回見てくれていて、ゲームや選手にもものすごく詳しいです(笑)。


ネガティブな業界をポジティブに変えてみせる

ーそこからeスポーツチームをビジネス化するまで、どんな道のりを歩んできたのでしょうか。

プロチームにスポンサーがついていることだけは知っていたので、とにかくスポンサーを獲得するためにアポなしで東京の会社に訪問し、「日本で○位の実績があります!」「フォロワー○人います!」と稚拙な営業をしていました。その中で最初にスポンサードを決めてくださったのが、IT系事業を運営する株式会社アジャスト(現:株式会社ストランダー)の青木社長。

eスポーツチームのスポンサーになりたい」という社長のSNSを見て、パワポ資料を手に緊張しながら新宿のオフィスまで伺ったことを憶えています。とにかく熱量高くプレゼンしたらその場で契約を決めてくださり、ファンクラブサイト構築や運営支援、チームマネジメントやマネタイズのノウハウ等を丁寧に教えていただきました。そこから一歩ずつ前に進んできたという感じです。


ーチームの転機になった出来事はありますか。

PUBGのモバイル版、『PUBG MOBILE』に参入したことですね。プロチームがほぼ介入していない段階で世界大会が行われることになり、チャンスだと思って勝負に出ました。当時のeスポーツ界隈には、神の領域と思えるほど強いけれど、マナーが悪いせいで大手チームからは声がかからない選手がけっこういました。「本当に強い人が評価される時代がいつか来る」と思っていた僕は、そうした選手を強い順に10人口説き、チームに入ってもらうことに。マナーの悪い選手をプロチームに入れたことでたくさん批判され、僕も選手を何度も叱りましたが、そうして臨んだ国内大会は見事優勝。選手の親御さんを何とか説得してドイツでの世界大会にも出場しました。ちなみに彼らは、今では年間3億円のリーグに出場するほどの実力者に育っています。


ー世界大会に初出場してみて、海外のeスポーツ界はどんな印象でしたか。

日本とは全然違いましたね。その頃の日本ではまだ「ゲーマー=ダサい」と言われていましたが、ドイツでは選手の送迎車はベンツでしたし、滞在中は高級ホテルも食事も全部無料。街を走るバスや電車には大会の広告が貼られ、大会では有名音楽プロデューサーが新曲を発表、海外選手たちはみんな大企業のスポンサーを抱えていました。その後、台湾やサウジアラビア等の大会にも出場しましたが、賞金の額も影響力も何もかも日本とは違い、自分たちとの差を痛感。一方で、まだブルーオーシャンの日本にチャンスも感じました。「日本で1位を獲れば世界に行ける」と。

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ー当時から2年ほど経ちましたが、日本のeスポーツ界は変化したと感じていますか。

業界に対するイメージもそうですし、業界自体もかなりクリーンに変化したと思います。以前は、子どもが夢を抱いてeスポーツの道に進んでも、僕の元オーナーのように未払いや失踪する大人も多く頻繁に炎上していました。でもプレイヤーが増え、チームの数が増え、ゲームをeスポーツ化することでユーザー課金に繋がるという実績が出てきてからは新興タイトルの大会が増え、賞金の出る大会も増加。元選手の業界関係者や多くのスポンサー企業が関わるようになり、コンプライアンス遵守の傾向が強まっていきました。コロナ前はオフライン大会が盛んに行われていたのですが、オンライン上で暴言を吐いていた選手もオフラインではマナーを守るようになり、プレイヤーのプロ意識も高まったと感じています。

ネガティブな業界をポジティブに変えてみせる。そのモチベーションで僕はこれまでやってきました。当初の『All Rejection Gaming』というチーム名も、現チーム名であり社名の『REJECT』(拒絶する)も、そんな思いを込めて名付けました。

eスポーツはとてもフラット。体格差も性差も関係ありませんし、ゲームを通じてコミュニケーション力やチームワークも養われます。以前、選手のお母さんから、「父親を亡くしてからゲームしかしてこなかった息子が、チームに入ったことで笑顔が増えて、私にもゲームの話をしてくれるようになりました」とメッセージをいただいた時は感動しました。本当はいろんな人のためにあるものなのに、ネガティブなイメージのせいで子どもが親に「やるな」と怒られるのは違うと思う。日本でのeスポーツの立ち位置がここ数年でスピーディに変わってきているのは、とても喜ばしいことです。



初回の資金調達時からIPOを見据えていた

ーこれまでに複数回の資金調達をされています。初回は創業から約1年後の2019年ですが、経緯をお聞かせください。

僕と同い年のVC担当者から連絡をもらい、「モバイルなら世界を獲れるチャンスがある。海外のeスポーツ企業はこんなに価値があるのにもったいない」と熱弁されたことがきっかけです。信頼しきれず断ろうと思ったのですが、サウジアラビア大会中に再度連絡をもらい、その熱量に負けて1000万円の資金調達を決断。僕は帰国後すぐに上京し、そこから彼は毎日一緒に働いて会社の成長を支えてくれました。


ー社員の初採用はいつでしたか。

20203月です。2回目の資金調達が決まっていたので、まずはeスポーツに明るいデザイナーを採用し、会社のリブランディングを進めました。チーム名を『REJECT』に変更したのもその頃です。

社員を採用し、選手を住まわせるために都内にゲーミングハウスも構えたのですが、そのタイミングでコロナ禍に。これからみんなで一堂に会して熱量高くやれると思っていた矢先のことでした。社員はリモート勤務になり、選手を住まわせることもできず、みんなの心が離れないかずっと不安でしたが、オンラインで欠かさずコミュニケーションを取りながら何とか前進。コロナ禍でeスポーツを始める芸能人も増え、業界自体は伸びていたので、強豪選手と年俸1000万円で契約したり、人気タイトル参入や強豪チーム買収を進めたりと、強気のアクションを取り続けました。


ー渋谷スクランブル交差点109ビジョンでのCM放映も話題になりました。

渋谷の交差点という影響力のある場所で、eスポーツチームがCMを流す。かなりエポックメイキングな出来事だったと思います。『NOT JUST A GAME. 所詮ゲームなんて言わせない』というメッセージを発信したのですが、「会社に入りたいです!」という問い合わせを100件以上いただく等、非常にいいプロモーションになりました。

eスポーツが好きな方は熱量がものすごく高いので、そうした方が入ってくれたことで社員の熱も再燃しましたし、選手の心構えもより大人になりました。また、eスポーツに詳しくないノンゲーマーからの問い合わせが増えたことも嬉しかったです。例えば現在の経営管理部長は、大手広告代理店出身かつ起業経験者。これから伸びる業界を探していて当社に興味を持ってくれたそうです。


ー2021年3月、ジャフコのリード投資により総額3.6億円を調達されました。調達額が一気に拡大しましたが、どんな目的があったのでしょうか。

現在、選手は40人、社員は20人ほどいるのですが、選手の給与保証が年間5000万円にのぼるため、キャッシュフローを改善したかったのがひとつ。もうひとつは、(今インタビューを行っている)このオフィスを構えるためです。地下はゲーミングスペース、1階は選手と社員が交流したり大会をモニターで見て応援したりできるスペース、23階は社員の執務スペース。選手を強くする目的はもちろん、コロナ禍で離れがちだった選手と社員の距離を縮める目的も大きいです。


ージャフコとの出会い、選んだ理由を教えてください。

学生起業家が集まるセミナーでピッチをしたのですが、その帰りに渡辺さんに声をかけていただきました。ピッチ自体は誰よりも下手だったと思いますが(笑)、eスポーツを産業化するという考え方、スタンスに興味を持っていただいたんだと思います。そこから1年間、毎月面談し、大きく調達したい今回のタイミングで改めて相談しました。

僕は最初の資金調達時からIPOを見据えていました。UUUMさんが上場した時、YouTuberに対する評価が上がったと感じましたが、eスポーツも同じように強気のアクションで世の中にインパクトを残すべきだと。ですので、IPOを目指すなら実績の豊富なジャフコさんにお願いしたいと考えました。大手VCなので今後の採用に繋がりそうだと考えたことも理由のひとつです。

渡辺さんは出資に至るまで1年以上コミュニケーションを取った唯一の担当者。起業家として未熟な僕にいつも心強いアドバイスをしてくださり、今回もリードになる前提で話をしてくれる等、大きくリスクを取ってくださいました。これから同じ釜の飯を食うパートナーとして、大きな信頼を寄せています。


ー投資後はどのような支援を受けていますか。

毎週、幹部会を12時間実施し、経営や採用等の会社に必要なこと全般を支援いただいています。「展開したい事業への解像度が低い」「採用したい人の定義が不明確」等、未熟な部分に気付いてサポートしていただけるので、起業家として日々成長できている実感があります。

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甲山氏とジャフコ担当の渡辺正人(左)



迷った時にはチャレンジングな選択を

ー今後の会社の展望についてお聞かせください。

チームとしては、より多くの方に応援いただきながら、シューティング系タイトルで日本初の世界優勝を目指します。事業としては、例えば選手の練習風景を配信する等、アスリートチームとMCN(マルチチャンネルネットワーク)のハイブリッド型のような事業展開を視野に入れています。また、最近強化しているアパレルやグッズ販売の他、ゲーム内スキンの販売にも参入していきたいと考えています。

長期的な展望は、やはりeスポーツの産業化。eスポーツの高校大会には甲子園より多い2000校が出場しており、中学生のなりたい職業ランキングでもプロeスポーツ選手は2位を獲得しています。人気が高まる一方で、その夢や情熱を叶える舞台が十分にあるとは言えません。eスポーツを一時のブームで終わらせず日常化し、産業として成長させ、子どもたちの夢を叶えてあげたい。そして『REJECT』がその中心的存在であり続けられるように、チームとしても成長を加速させていきたいです。


ー起業当初と比べて、ご自身の志に変化はありましたか。

「ネガティブな業界をポジティブに変えたい」「eスポーツを産業化したい」という想いは以前から持っていたものの、頭のどこかで「誰かがやってくれる」と思っていた節がありました。でも、そういう会社は決して多くないし、ましてや僕のような若い起業家は珍しい存在。業界を最前線で牽引するのは僕たちであり、僕たちにしかできないことがあるという強い使命感が、今の僕を突き動かしています。

業界のネガティブなイメージはこの数年でかなり変わりました。ですので、コーポレートメッセージも『Not Just A Game』から『Road to Clutch』に変更。これから新たなステージで志の実現を目指していきます。


ー最後に、起業を目指す若い方々にメッセージをお願いします。

この先、どの道に進むか判断に迷うことが多々あると思います。そういう時、僕はあえて楽な道ではなく「しんどそうな」道を選んできました。今振り返れば、その道を選ばなければ得られなかったものがたくさんありますし、楽な道に進むより断然面白かったと思えます。迷った時にチャレンジングな選択ができるかどうかが、後悔しない起業家人生を送る秘訣なのではないでしょうか。