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バブル時代の経営危機からV字回復 調剤薬局最大手・アインホールディングスの復活劇
バブル時代の経営危機からV字回復 調剤薬局最大手・アインホールディングスの復活劇

業界をリードする注目企業のベンチャー時代のストーリーに迫る「BACK TO THE VENTURE」。
今回は、調剤薬局業界最大手の株式会社アインホールディングス 代表取締役社長の大谷喜一氏にお話を伺いました。

【プロフィール】
株式会社アインホールディングス 代表取締役社長 大谷 喜一 (おおたに・きいち)
1951年、北海道浜頓別町生まれ。幼少期を札幌で過ごした後、浜頓別に戻り中学を卒業。1976年、日本大学理工学部薬学科(当時)を卒業後、薬剤師に。杏林製薬(東京)を経て、1980年「株式会社オータニ」を設立。1988年、第一臨床検査センター代表取締役社長に就任(現任)。1998年「株式会社アインファーマシーズ」に社名変更。

What's 株式会社アインホールディングス】
北海道札幌市に本社を置く調剤薬局最大手。1969年受託臨床検査を目的として株式会社第一臨床検査センター設立。1994年調剤薬局店舗ネームを「アイン薬局」に統一。2008年株式会社セブン&アイ・ホールディングスと資本・業務提携。1994年店頭市場(現ジャスダック)登録。2009年に東京証券取引所市場第二部、2010年には東京証券取引所市場第一部に株式上場。現在は調剤薬局・コスメ&ドラッグストアの経営、ジェネリック医薬品の卸売販売、化粧品の販売など、各事業を中心とした企業グループの企画・管理・運営を行っており、調剤薬局・コスメ&ドラッグストア1,151店舗(20204月期末現在)を運営している。

Portfolio


「札幌から日本一の会社を創る」、ジャフコが私の野心に賭けてくれた

―アインホールディングスの前身は、1969年に設立された株式会社第一臨床検査センター。大谷さんが経営に携わるようになったきっかけは何だったのでしょうか?

第一臨床検査センターは、叔父が札幌で経営していた受託臨床検査を行う会社でした。私は大学卒業後、製薬メーカーに勤めていたのですが、28歳のときに独立。「たくさん稼いで、日本一大きな会社を創ろう」と夢だけは大きくドラッグストア経営を始めたものの、成長があまり見込めませんでした。そこで、叔父が順調に売上を上げてきた領域で勝負しようと、臨床検査事業を旭川でも展開することに。のちに、私が経営の指揮を執ることになり、元々叔父の会社であった第一臨床検査センターを母体にして旭川の臨床検査会社を吸収合併する形で事業拡大を進めました。


―独立を決めたとき、実現したい「志」はどのようなものでしたか。

「上場して札幌から日本一の会社を創るんだ」ということだけ考えていましたね(笑)。今の若い起業家の皆さんは、社会課題に目を向け、創業時から優秀な人材と資金を集めて、戦略的に動いていらっしゃる。当時の私は幼かったなと改めて思います。


―1986年にジャフコから資金調達を受けています。当時、ベンチャーキャピタルから資金調達を受けるのはまだ珍しかったのではないでしょうか。

そうですね。ただ、大学時代から数字を見るのが好きでファイナンスを勉強していたんです。株式投資をやっていたこともあり、独立してからは、起業家の先輩に資金調達を受けた方もいたのでお話を聞いたりしていました。ベンチャーキャピタルに関してもある程度知識があったので、「事業拡大するには上場しかない」と考えていました。1985年には私の方から北海道ジャフコ(北海道銀行とジャフコの合弁会社)を訪れたのを覚えています。


―ジャフコとの出会いで印象的だったことは何でしょうか。

2回審査を受けるも断わられ、3度目の正直で投資が決まったことでしょうか()
当時の売上は年商5億円ほど。そんなローカルの臨床検査会社に投資するというのは、普通では考えにくいことだったと思います。事業計画書も「バイオビジネスで業界トップになる」等と、ほとんど理想論を掲げていましたから。

それでも、私の野心に賭けていただいた。ジャフコの担当者が手掛けた上場企業の例をいくつも教えていただき、「大谷さんにできないわけがない」と励ましてくれました。社長、担当者をはじめ、ジャフコの皆さんには今でも心から感謝しています。資金調達後にも営業支援に奔走してくれたり、私に経営の知見を与えようと色々な方を紹介してくれたり、ときには外部講演会に連れていってくれたり...。アインに関わってくださったすべての人と一緒に創ってきた、という感覚はとても強いですね。

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成功と失敗、経営危機からのV字回復

―1989年にはドラッグストア事業部門を立ち上げ、1993年には旭川市に処方箋保険調剤薬局「第一薬局」(現アイン薬局 豊岡店)を開局。1994年にはジャスダック上場と、順調に成長していかれたように見えます。

マーケットが急速に伸びていた調剤薬局領域に力を入れたことで、ジャフコさんとの約束は一つ実現できた。でも、北海道内のシェア1位が取れていない状況で、日本一なんて夢のまた夢...と思っていました。新しいことをしなくては勝ち残れないのではないか、という想いが私を突き動かしていました。

それが、ホームセンター、家電量販店への事業多角化という、大きな失敗に繋がっていきます。


―事業多角化に動き出していった背景には、起業家としてどんな考えがあったのでしょうか。

アインの成長事業だった調剤薬局は、社会的にニーズがなくならない領域です。私自身が薬剤師でもあるので知識があり、自分の強みを発揮できるというメリットもありました。でも、そこにすべての資金を投入する自信がありませんでした。一方、臨床検査業界は上位に何社もいて、トップとの売り上げの差は10倍以上。どんなに頑張っても追いつかないことは目に見えていたからです。

「調剤薬局のビジネスを含めて、総合的に会社を成長させよう」という想いは上場前から密かに持っておりましたが、ホームセンター等の巨額投資が必要な事業展開へと突き進んでしまった。企業存続が危ぶまれるほどの事態を招くことになりました。


―経営危機には、バブル崩壊の時代背景も大きく影響したのではないでしょうか。

そうですね。メインバンクだった旧北海道拓殖銀行の破綻(1997年)は決定的な打撃でした。
その頃は、多角化事業への投資でお金はほとんど残っていなかった。「今まで融資してきたお金を返してください」と銀行から言われて途方にくれました。

今思えばよく分かるのですが、ホームセンターも家電量販店も、やったことがないビジネスですからうまくいくわけがない。頭では「新規事業が失敗したら、ものすごい影響が出てしまう」と分かっているのに、会社を大きくしなければという考えに囚われて、後に引けなくなっていきました。一つの事業では日本一になれなくても、事業の集合体なら日本一になれると、自分を正当化していたのでしょう。既存の臨床検査事業、調剤薬局事業、ドラッグストア事業を含めて5業種になり、当時の経営体力では持ちこたえられなくなっていきました。

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―その3年後の2000年からは、V字回復を遂げています。何を変え、どう行動したのでしょうか。

精神的に追い詰められる中、転機となったのが「フォーカス! 利益を出しつづける会社にする究極の方法」(アル・ライズ著)というビジネス書との出会いでした。どんな企業も、「一つのビジネスに集中し、磨き上げていくことでのみ成長する」という内容に、まさに目から鱗が落ちました。

そこで決断したのが、「調剤薬局事業以外をすべて売却する」ことでした。
ホームセンターも家電量販店も丸ごと売り、売れないものには、ノウハウと実績、売上見込みの大きかった臨床検査事業を合わせて売却する等、赤字の"出血"を止めるために即行動を起こしました。


―臨床検査事業の売却には、当時「アインは本業を売った」と新聞で叩かれたこともあったようですね。

そうです。あの会社はもうダメだ、という論調でした。でも、調剤薬局事業に絞るには、自分なりの考えがあったんです。

調剤は急速に伸びている市場でしたが、当時、「医薬分業」は進んでおらず、8割ほどの処方は病院内で調剤されていました。しかし、高齢化が加速する中、国が医療費の抑制政策を進めていくのは明らかでした。病院は診療で経営し、処方箋は薬局に出されるという「医薬分業」が推進されるだろうと、確信がありました。

24時間、365日考えていたのは、「どのビジネスなら、アインは復活できるのか」ということ。調剤薬局市場の動向をずっと見続け、進出できたことは本当にラッキーでした。「医薬分業」という国の政策がマーケットの成長を促し、2000年からの復活に繋がったのです。

失敗を認め、次のアクションへとすぐに切り替える

―経営危機を乗り越えた経験は、今にどう活きていますか。

バブル崩壊を経験したことで「世の中、いつ何が起こるか分からない」という危機感が根づき、財務体制の抜本的な見直しに繋がっています。

20年間、実質無借金経営を続けていますが、「売上が何カ月もない時期が続いても、社員を万全の状態で支えられる財務体制を作る」ことが、思いがけない事態に対する準備だと思っています。収益を上げるビジネスモデルの安定構築への意識は、これまでの失敗が糧になっているでしょう。

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アイン薬局獨協医大店(外観)

―1990年代後半には「医薬分業」の流れを読み、常に一歩先の社会を見つめていらっしゃいます。これからの医療・調剤薬局を取り巻く環境はどう変化し、どう対応していきますか

現在、我々調剤薬局にはかかりつけ機能の発揮や在宅医療への参画等の機能強化が求められています。
国や社会が求めているマーケットは必ず大きくなり、そのニーズとマッチさせることが、事業成功のキーとなる中、規制緩和によるオンライン診療、服薬指導の発展や、技術革新による自動運転やドローンでの医薬品配送等に、我々がどう対処できるのかは、今いち早く取り組んでいるところです。


―ありがとうございます。では最後に、これから事業拡大を目指す起業家の皆さんにメッセージをお願いします。

これまで何度も潰れかけながら、私が今も経営者でいられるのはなぜか。
一つは、失敗を認め、判断ミスを社員に謝罪し、次のアクションへとすぐに切り替えてきたからだと思っています。「あれはなかったことにして、次の事業をやろう」と責任をうやむやにしていたら、誰もついてこない。すべて自分の責任、という覚悟は大事にしています。

二つめは、この事業が社会でのセーフティネットであり、なくてはならないものであったからです。良いビジネスを選びました。薬剤師という社会人の自分の原点が繋がっているのは、非常にラッキーなこと。リーマンショックのときも、東日本大震災でも、今回のコロナ禍でも、収益力は下がったものの、薬局は営業を続けてきました。

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ビジネスでは、社会が必要としないものは必ずダメになります。自分がやっていることは、社会から求められているのか、受け入れられているのか、評価されているのかという価値観を持つことは、起業家に欠かせないものだと思っています。

今の若い起業家の皆さんは、社会貢献への志が高く、経営に関する深い知識を持ったスマートな方が多い。私が起業した頃は、勢いと野心しかない、やんちゃな人ばかりでしたよ。私こそ、皆さんから学ぶことの方が多いと思うので、新しい情報には常に心をオープンにして吸収していきたいです。